戦争について今一度考えてみる

日本は8月15日を終戦記念日としていますが、他の多くの国は戦勝記念日として扱っています。(降伏文書の調印が行われた9月2日を戦勝記念日にしてる国も多い)

戦争に勝った国、負けた国で扱いが違うのは当然だし、加害者と被害者で歴史の解釈が異なるのも当然です。見る角度が変われば正義が変わるのは世の常です。

実は私の祖父が知覧の特攻隊員だったこともあり、幼い頃から戦争については強い関心を持っていました。

ここらで祖父から伝え聞いたことを踏まえて、私の戦争観について書き留めておこうと思います。

考えの礎となった3つの出来事

私が戦争を考えるときに影響を受けたのが下記3つの出来事です。

  1. 特攻隊員であった祖父の話
  2. 大学での衝撃的な出来事
  3. 子どもが生まれたこと

この3つ私のイデオロギーを構成しています。

特攻隊員だった祖父の影響

私の祖父は鹿児島県にある知覧特攻基地の隊員でした。

特攻の数日前に終戦を迎え運よく生き永らえたのですが、台湾出兵の際に敵軍に撃たれたり、空爆で逃げ回ったりと、幾度となく死線をくぐり抜けた人でした。それ故、人一倍戦争に対してヘイトを抱いていたし、常に平和を希求する人でした。

そんな祖父は戦時中に一貫して反戦を謳っていた共産党を支持しており、彼の教育を受けてきた私は当然のようにその思想を信じていました。

しかし、大人になるにつれて私の考えは変わってき「共産党ってダメじゃね?」とはっきり思うようになりました。彼らの主張する平和主義、憲法9条擁護は理想的ではあるものの、世界の実情には全くそぐわないと思い始めました。

さらに自衛隊の解消、日米安保の破棄などについては全くの理解不能です。日本は中国、北朝鮮、ロシアなどの世界有数の覇権主義国家と隣接している国です。この場所で自衛の能力を放棄するということが何を意味するのか深く考えるべきだと思います。

戦争は当然してはいけないし、その努力を高いレベルの外交・対話、抑止力を用いて実現しなければいけないんじゃないかと考えています。

大学での衝撃

大学で国際政治学の授業を取っていた時のことです。20人ほどの留学生らと授業を受けており、戦争に関するディスカッションの時間がありました。

ある外国人留学生が『第二次大戦はヒトラー、ムッソリーニ、ヒロヒトに大きな責任があるね』的な発言をしたのです。多くの留学生は頷いていて、日本人学生はポカーンとしていました。

ヒロヒト??誰それ??』と思ったのですが、それは昭和天皇のことだったのです。

その時に本当に本当に衝撃を受けました。多くの日本人はこのような教育を受けていないし、これが他国の歴史解釈だとも知りません。その場には10ヶ国以上の外国人留学生がいましたが、その考えに全員がアグリーだったのです。まさに史実を色々な方向から見た時の、ズレを感じた瞬間でした。

そのディスカッションから20年近く経った2022年、ウクライナ政府のあるツイートが物議を醸しました。

それが下記。

ウクライナ政府の独裁を批判するツイート。

みなさんこれをどう思いますか?

正解はありませんが、歴史を様々な角度から学ぶ必要性があることは明白です。

私は先の大戦で『日本は加害者だったのだな』と胸に深く刻まれた出来事になりました。

子どもが生まれて

子どもが生まれて未来への責任感が増し、より良い社会を後世に残す意識が芽生えました。

それは戦争だけではなく色々な分野に影響を与えています。

何かを消費するにしても誰かの助けになるような商品を選ぶようになったし、仕事にしても子どもに胸を張れるかが判断基準になっています。

子どもが生まれていい大人になるきっかけをもらったし、子どもに誇れる行動を取るようになりました。

これが『人としての成熟なのかな』とも思うようになりました。

平和への努力

残念ながら人類史において争いのない時期はありません。常に何かしらの争いが起こっており、平和というのは努力なしには手に入らないものだと痛感させられます。

教育、経済的安定、多様性の理解、メディアの公平性、環境保護、幾つもの課題があります。

そんな中でも教育こそが全ての課題を解決する最重要項目だと信じています。

最後まで読んでくれた方に、マララさんのこの言葉を。

One child, one teacher, one pen, and one book can change the world. Education is the only solution. Education First.

平和を願って、それではまた。