学生時代は「協調性を養いなさい」と教えられ、就職活動では「あなたの個性は何ですか」と問われ、大人になると「多様性を身に付けなさい」と言われ、私たちはいったい何になればいいのでしょうか。
全てを完璧に兼ね備えた人なんて存在しないし、かと言ってバランスよくこの能力を持っている人は、ワイドショーのコメンテーターのように無難でつまらないものです。
特に「協調性と多様性を身に付けています」と豪語する人は、金太郎飴みたいに画一的で何の魅力も感じません。逆に何か1つに尖っていて、強烈な個性を持った人に魅力を感じてしまいます。最近の社会ではこういう人ほど活躍していたりもします。
今回は「個性・協調性・多様性」について、私の考えを書き留めておきます。
昔は協調性が必要だった
少し時代を遡ってみると、協調性が最も重要だった時代が存在していました。それは農耕民族として生きていた時代と、高度経済成長期でモノを作って売っていた時代です。
今でも名残がありますが田植えや稲刈りは家族総出で行うもので、ご近所との協力も当たり前でした。そんな時代に個性なんてものは不要で、みんなと足並みを揃える協調性こそが最も大事なスキルでした。
村八分という言葉の語源も「協調性のないものを排除する」考えが元になっています。
高度経済成長期から平成にかけても同じです。
当時はIT技術もそこまで発達していないし、ロボットやAIによる自動化なんてこともまだまだの時代です。とにかく大量の人を雇って、同じように長時間働かせることが経済成長にか欠かせないことでした。
昔の会社には"社訓"というものがあって、統一感や一体感を醸成するために宗教じみた考えを強要していたものです。
日本で最も有名な会社の一つである電通でさえ、上のような社訓が存在していました。これは協調性というより、恐怖を持って統一してたようにも感じます...
しかし時代は変わり令和になった今では、協調性の重要度が下がってきています。
もっというと、個性が無く協調性を持った画一的な人材がパフォーマンスを発揮できない時代に変わってきているのです。デジタル化、DX化、AI化が進み生産性が上がれば、金太郎飴みたいな画一的な労働力は不要です。
その為大企業は、バブル期に大量採用してしまった生産性の低いおじさんの達をどう排除するか躍起になっています。
早期退職募集、1〜6月は前年比3.6倍 黒字でもリストラ
東京商工リサーチは4日、上場企業が2024年1〜6月に募集した早期・希望退職者数が5364人だったと発表した。前年同期に比べ3.6倍に増えた。各社の業績をみると、直近決算における最終損益が黒字の企業は58%だった。好業績のうちに大規模な構造改革を進めている。
日経新聞社
協調性も重要ではありますが、時代が求めているものは間違いなく個性です。個性がなければ高いパフォーマンスを発揮できない時代に差し掛かっています。
個性を磨いて尖るのは怖いことだが
個性的で何かに尖った人材が重宝される時代になりましたが、一朝一夕でそういう人になれるものではありません。弛まぬ努力が必要です。
他の大多数が乗ったレールとは別の道を進む訳だし、周囲から奇異な目で見られることもあります。何かに尖るということは同時に何かを捨てることでもあり、常に孤独との戦い(自分との戦い)です。個性を磨いて何かに尖るというのは本当は怖いことなのです。
個性を身に付けることの重要性は100年も前に生まれた芸術家の岡本太郎さん(1911~1996)も言っています。
「個性とは自分が人生を生きた証」「他人と同じに生きていると自己嫌悪に陥るだけ」など多くの名言を残していますが、100年経っても人間の本質は変わらないことを教えてくれます。
自分の個性を創っていくことこそが人間の人生の最大のテーマであり、そこに最大の喜びがあると書籍に残されています。
協調性や多様性ももちろん大事です。
しかしながら、個性を身に付けることが人生を最も豊かにすることであり、個性を身につければ他人の個性も受け入れることができ、結果的に協調性や多様性も身に付く気がするのです。
世の中に個性的な人が溢れ、楽しい世界になるといいなぁと切に願います。
それでは、また。